共済コラム

創刊100号に寄せて 〜先人の苦労と「宝の持ち腐れ」〜

2018年2月1日

 JP労組関東新聞は、2007年12月の創刊から100号を迎えた。一言で100号といっても10年余の歳月と歴代の担当役員をはじめ関係者のご労苦があってこそ、敬意を表したい。本コラムは2012年10月から「独り言」、「担当者のつぶやき」そして「新都心の雑記帳」と、タイトルと筆者を変えつつ現在に至る。ご愛読に感謝である。

 さて、小生が地本役員になりたての頃、大先輩にお話を伺う機会があった。氏曰く「戦後間もなくの労働組合創生期は、片道分の旅費を握りしめ、出向いた職場で組織化し、集めた組合費を旅費にして次の職場に向かった」とのこと。こうした草創期から続く苦難の蓄積が、今日のJP労組の礎を創ったことは間違いない。が、私たちはこの認識をどれだけ共有しているだろうか。今ある組織と運動、そして、その成果たる労働協約は初めからありはしない。まして、与えられたものでもない。共済も同様である。先人が闘った歴史の成果として、継承されていることを忘れてはならない。

 労働組合のルーツは、英国の炭鉱労働者がケガをした仲間を助けるため、仕事終わりに酒場で一杯やりながら、みんなで話し合ったことらしい。共済と居酒屋(?)が労働組合の原点であるとの由縁だ。翻って、関東共済は年々加入者が減少しているなど、厳しい状況が続いている。共済は、非営利運営とスケールメリットによって安価な掛金で確かな補償を実現し、組合員の人生をサポートしてきた。しかし、このままではその使命を果たすことができなくなる。

 貴重で役に立つものを持っていながら、使わないでしまっておくことを「宝の持ち腐れ」という。「いくら高価な洋服を買っても着なければ宝の持ち腐れだ」などと使われるが、共済の現状は、そんな状況ではないだろうか。私たちの日々の暮らしには、様々なリスクが存在し、時に組合員の命や生活を一瞬にして奪う。その時、共済は災害や事故後の生活を支えることができる。しかし、共済未加入者は「助けたいのに助けられない」厳しい現実もある。その反面、それは「助けられたのに助けられなかった人」でもある。私たちが共済をもっと熱心に勧めていれば、「助けられた」はずである。決して共済を「宝の持ち腐れ」にしてはならない。それが宝を創り、育んだ先人の苦労に報いることだと創刊100号に誓いたい。過去があって今があり、今は未来のためにあるのだから。

(komu—taka)





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