共済コラム

過信と慢心

2021年4月21日
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 「春はセンバツから」。第93回選抜高校野球大会(略してセンバツ)は、関東・東京代表の東海大相模高校(神奈川県)の優勝で幕を閉じた。昨年はコロナ禍の影響で中止となり2年ぶりの開催だけに、球春の訪れを待ちわびていた方も多かっただろう。熱戦を展開した球児と開催に尽力された関係者に感謝したい。夏の選手権は、都道府県予選の優勝校が出場校となるが、センバツは秋季大会の成績を参考に選ばれるので、地区大会で優勝できなくても日本一になれる。実際に東海大相模高校も秋の関東大会ではベスト8だった。まさに究極の再チャレンジシステムといえる。

 

 また、21世紀枠もある。秋の都道府県大会で一定の成績を残すことが前提条件となるが、少数部員、施設面のハンディ、自然災害など困難な環境の克服、学業と部活動の両立、地域貢献など、野球以外の要素を選考条件に加え、甲子園出場のチャンスを広げる目的で2001年から導入された。これには賛否両論あるようだが、筆者は多様性を認め合う今の時代にこそ意義ある制度だと思っている。しかし、10年程前には、試合後の公式会見で監督が「21世紀枠に負けたのは末代までの恥。腹を切りたい」などと不適切発言をして、大きな波紋を呼んだことがある。最近も21世紀枠のチームが勝利すると「無欲の勝利」、相手校には「過信、慢心があった」とコメントされることがある。辞書を開くと「過信」とは、自分の実力を過大に評価し、自信を必要以上に持っている心の様子を指す言葉、「慢心」は、おごり高ぶること、またその心とある。高校野球でのこうした一律的な表現には、相手に対するリスペクトが感じられず違和感を覚える。

 

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 かたや国会では、前代未聞の事態が起きている。政府提出の法案、条約の条文や関連資料に誤りが続出しているというのだ。政府の説明によると、誤りは13府省庁が担当する計23法案1条約に及ぶ。世界一優秀といわれた我が国の官僚が、なぜ単純なミスを続出させたのだろう。これこそが前政権から政府に宿る「過信、慢心」そのものではないだろうか。そして、旧郵政省出身ばかりの総務省の接待問題、かんぽ問題や後を絶たない部内犯罪も「過信、慢心」が原因なのかもしれない。

 

無題

 かつて関東労使は、「合わせ鏡」と言われ、経営側の問題を「他山の石」にすることなく、私たちの内心や組織内に「過信、慢心」がないか、常に立ち止まり振り返ることを重要視していた(それを「総括」といった)。筆者は、組合員の利益代表たる労組役員に唯一必要なのは、稲森和夫氏が西郷隆盛を評する「無私利他」の精神だと思っている。つまり、私心なく自分のことよりも他人の幸福を願うこと。組織内に置き換えれば「私心のない判断を組合員の心を基準に行うこと」だと思う。もし、役員の「私利私欲」が組織内の「過信、慢心」の体質を蔓延させていたとしたら、組合員の心は離れるばかりだろう。一度、これまでを総括してみてはと思う。そのうえで「野心は邪道、常に正道を歩め」と言いたい。

 

 他方、私たちが日常生活をおくるうえでも「過信、慢心」には注意が必要だ。災害、事故、病気など想定外のリスクは突然我が身に降りかかる。そんな万が一の時に組合員を守る制度(商品)がJP共済生協には用意されている。「私は絶対大丈夫」などと「過信、慢心」することなく、自分自身と家族を守り、仲間を助けるために共済加入を検討してほしい。

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 今センバツ出場校中最年長(72歳)となる千葉県の専大松戸高校の監督は、野球を「人が還ってきて1点が入るスポーツ」と表現し、ナインがお互いを思いやることの大切さを説き、エラーをした選手と同じように周りの選手を叱る。それは「周囲のことを考え、自然とカバーに入れる選手になってほしい」との想いだそうだ。3月から5月は、関東の共済後期強化期間に設定しており、今年度も「助け合い、支え合いキャンペーン」を実施している。ぜひ、一人一人の組合員が周りの仲間のことを思いやり、自然とカバーできる仕組みである共済の周知と加入促進に力をかしてほしい。

 

 残念ながら筆者の地元栃木県からは今センバツに出場できなかった。が、優勝した東海大相模高校のエースと主将は栃木県出身。これも多様性を認めることなのか、複雑な心境である。

(KOMU-TAKA)





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日本郵政グループ労働組合中央本部