擔雪填井(たんせつてんせい)
2018年3月5日
いよいよ2018春季生活者闘争も中盤を折り返し佳境に入った。「佳境」などと例えると、他人事のように捉えられてしまうが、関東の各職場や地域では、連日連夜、職場集会等で組合員が集まり決議し、また組合員の家庭に赴き、春闘勝利に向けた各種の取り組みを行っているところである。
とりわけ今期の春闘では、正規非正規という社員区分による不合理な格差の是正をはじめ、荷量増加に苦戦した、あの年末年始業務を乗り切った現場力、組合員の努力に対する経営側の誠意ある回答を強く求めるものであり、緊張感とともに回答の前進に期待して、あえて「佳境」と表現させてもらう。
さて過日、「支部マネジメントセミナー(支部四役コース)」を開催した。セミナーのテーマは“地域”である。
人口減少・超高齢化で地方がやせ細る中、地域の生活者である私たちが、市民の一員として地域とともにできる連帯活動を模索したセミナーを行ってきた。とかく競争原理・自己責任の地域社会においては、生活の豊かさは自ら勝ち取り続けなければならず、仮に自身に不可抗力の事態が生じ、“躓いてしまっても”誰も手を差し伸べない、差し伸べられない不寛容な分断社会に陥っている。
講師を務められた、東京大学名誉教授の神野直彦(じんのなおひこ)氏からは、思いやりのある「分かち合い社会へのシナリオ」と題して、歴史、財政、経済学の観点から連帯と共助に向けた提起をいただいた。
ただ正直、財政経済学に疎い私たちには、講話についていくのが精いっぱいであり、今講話を振り返って、ようやく氏が訴えたかったことが理解できた。
端的に言えば、「新自由主義」による競争社会をこのまま続けていけば、共同体的人間関係は劣化し続け、伴って分断と対立が拡大し、社会に期待しない市民のさらなる増加によって、政治的無関心層も増加、よって投票率もOECD加盟国最下位を更新し続け民主主義は崩壊することとなる。
グローバルという幻想を捨て、柔軟で多様性ある福祉社会国家を目指すため、経済、税の徴収と給付の在り方などに至るまで、理想だけでなく実現に必要な財源論を用いて説いていただいた。
私たちが行おうとしている地域における福祉型労働運動が“ソフト”ならば、税制や給付の仕組みなどの社会保障政策をつかさどる“ハード”を転換するには、政治を変えるほか手立てがない。来夏の参議院選挙は私たちだけでなく、次代の子供たちの未来を賭けた闘いであることを決意した。
その神野氏から「擔雪填井(たんせつてんせい)」という言葉をいただいた。
この言葉は、神野氏の社会人時代の先輩にあたる故草野忠義(元連合事務局長)氏の座右の銘であり、草野氏が日産労組役員時代で培った労働運動で出合った言葉という。
その意味は、井戸を埋めようとして雪を担いできて井戸を埋めても埋めることはできない。言うならば、「無駄な労力」を意味する漢詩、「担雪塞井(たんせつそくせい)」が語源。しかしこの言葉、禅語で訳すと、効率ばかり求め手柄や結果ばかり狙うのではなく、無駄と分かっていても黙々と続ける行いに、人を思いやる情感ある心が生まれる。と訳すのだという。
神野氏は私たちに、政治や経済システムに期待が持てない現在、労働組合に期待するとともに、その役割・歴史的使命は大きく、分断から分かち合いの社会の実現に向け、無駄とあきらめずに実現を信じて運動をし続けてもらいたいとの考えから、この言葉をセミナーの最後に引かれた。
“労働運動はゴールの無いタスキリレー”私たちが望む社会の実現を信じて活動する勇気を貰えた気がした。