共済コラム

9月1日と共済の語源

2018年8月1日

 今夏の暑さは尋常じゃない。熊谷市で記録した観測史上最高気温41.1℃や熱中症で搬送された方が1週間で2万2千人にはビックリ。「気象災害」と呼ばれる猛暑が続き還暦過ぎの我身に応えるが、こうした過酷な環境の下で働く仲間の苦労があって初めて、ユニバーサルサービスと会社経営が成り立っていることを忘れてはならない。

 

災害ボランティア

 西日本豪雨も忘れてはならない。死者は220人を上回り、約5千人が避難生活を強いられている。そこへ猛暑と台風などが襲い被災地が苦しむ中、ボランティアの皆さんのご奮闘に頭が下がる。一日も早い復旧・復興を願ってやまない。

 

  今回も政府の災害対策の遅れを指摘する声は多い。その原因として災害時の責任が各自治体の裁量に任せられている点が大きいそうだ。有識者は「災害対応を専門とする省庁が必要だ」と提言するが、そんな声をよそに気象庁から警報が発せられても呑気に酒盛りしていた政府要人たちの「赤坂自民亭」には呆れるばかり。

 

 

たてもの

 もうすぐ9月1日が来るが、「防災の日」である。改めて我が家と地域を防災・減災の視点で点検してはいかがか。ついででも良いので、万が一の時の備えも検証してほしい。組合員が地震や風水害で被災した時にお役にたてる自然災害共済加入率は、関東では僅か6.5%しかない。

 

 もうひとつの9月1日、それは夏休み明けで子供たちの自殺者数が一番多い日。それを知った鎌倉図書館の職員が公式ツイッターで「学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館にいらっしゃい」と投稿し反響を呼んだことがあった。こうした温かな柔らかい眼差しが今の社会には必要だ。

 また、某テレビ局の24時間番組では決して放映されないが、子供の貧困が6人に一人の日本、貧困家庭の子供にとって給食の無い夏休みはひもじくてやせ細る毎日だという。政治家がやるべきことは、こうした現実を受け止め苦しみを汲み取り、社会的弱者に光を当てる政策実現ではないか。

 

 一方、政治だけではなく共済の助け合い・支え合いの精神は、社会を変える原動力になり得る。それも共済の使命だと思う。

諭吉

 その「共済」という言葉の語源を調べてみた。諸説あるが明治12年に1万円札でお馴染みの福沢諭吉の弟子である安田善次郎が、共に協力して起こすと言う意味の「共立商社」を設立した際に、初めて「共済」の文字が登場する。

 それは幕末に師匠である福沢が「エコノミー」を中国の古典にある「経世済民」を引用し「経済」と訳しており、「共済」は、共立の“共(ともに)”と経済の“済(すくう)”を組み合わせた安田の見事な造語というのが有力な説である。名は体を表すと言う。

善次郎

 

「共済」という二文字に託された歴史の重みと崇高な理念に想いを馳せ、我々はもっと自信と使命感を持って活動すべきだろう。
                               (Komu-Taka)





ページトップ
日本郵政グループ労働組合中央本部