共済コラム

マスクがない

2020年4月3日

 新型コロナウィルスの感染拡大によって、日本の社会、経済、文化が危機にさらされている。世界中がじりじりと追いつめられているように感じるのは私だけだろうか。JP労組も活動計画の変更を余儀なくされ、組織と運動の停滞を招かないかと、老婆心ながら心配している。

japan mukasi

 先月号にも書いたがマスク不足は一向に解決していない(少なくとも筆者のもとには届かない)。筆者が中学生の頃に大ヒットしたのは、井上揚水の「傘がない」だが、今は「マスクがない」。そのマスクが、郵愛や郵便局でも取り扱っているアフラックのがん保険の日本普及に一役買ったという話がある。1970年の大阪万博で来日した当時の米国人社長が、街中マスクをかけて歩いている人を見て驚き、理由を訊ねると「風邪予防のためだ」と言うので、社長は、日本人の敏感さを知り、当時、すでに日本人の死因第2位だったがん保険も成功するだろうと日本進出を決めたというのだ。

 

花粉症 くしゃみ

 しかし、敏感さも良いが、今や通勤電車の中で咳き込もうなら一斉に冷たい視線にさらされる。マスクをつけたくてもマスクがないのにである。「私は花粉症です」と書かれたバッチを付けようかと真剣に考えた。世界中に差別が拡大し、その感染力はウィルス以上との報道もある。世界保健機構(WHO)は、咳などの症状のない人は予防目的でマスクをする必要がないと言っている。今の日本では、人と違うことやちょっとした失敗をすると強いバッシングを受ける。いつからこの国は、こんな不寛容な国になったのかと悲しくなる。

 そんな折、甲府市在住の女子中学生が600枚もの手作りマスクを寄付したニュースには救われた。しかも、材料費の8万円は幼いころから貯めたお年玉だという。人の弱みに付け込んで転売で儲ける大人に、彼女の爪の垢でも煎じて飲ませたいものだ。

  こんな不寛容な社会になったのは、今の日本を覆っている、「今だけ、お金だけ、自分だけ」の価値観(「三だけ主義」というそうだ)の影響だろう。翻ってJP労組の仲間意識はどうなのだろうか? これまた少し心配である。

情けは人の為ならず

その対極にあり、私たちが目指すべきは、「助け合い、支え合う社会」ではないかと筆者は思う。日本には、「情けは人の為ならず」という諺がある。古語なので「人に親切にするとその人の為にならない」と誤解している方もいるが、当然ながら「人に親切にすると、いずれ巡り巡って自分に良いことが返ってくる」という意味で、日本人のやさしさと寛容さを表現している。まさに、組織のスケールメリットを活かし非営利で運営している共済制度は、この「情けは人の為ならず」の精神で「助け合い、支え合う社会」を具現化するシステムといえるだろう。

 いささかこじ付け的で恐縮だが、関東では、この2月から5月末日までを、「助け合い、支え合いキャンペーン」と銘打って共済の加入強化期間に設定し、顕著な実績を残した組合員と支部を7月の地方大会で表彰することにしている。ぜひ、JP労組の仲間意識の再生のためにも、各支部での奮闘をお願いしたい。

 ところで、東京オリンピック・パラリンピックは、どうなるのだろうか(本稿の執筆の時には、はっきりしていない)。筆者の友人Ⅰ氏は、女子体操(予選)のチケットが当選したと喜んでいたが、今は、中止の場合に払戻金があるかどうかが最大の関心事だという。これも「今だけ、お金だけ、自分だけ」なのか? 
 
                                (Komu-Taka)

 





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